充実した人生だった。

sister's diary~双極性障害&社会不安障害~

不登校でよかったといえる人生

先に言っておきます。不登校であることは間違っていませんし、悪いことでもありません。

むしろ差別用語だと思います。


f:id:dust274:20151125162837j:image


肩で風切るダスト

私は親にも高校の先生にも肩で風切って歩くね、と言われます。顔を上げて外を歩けなかった時期と比べれば大きな進歩!

いじめは人生を変えますよね〜私も人生を変えられた1人です。本当に波乱万丈な人生(自分で言う)。

辛かった人も現在進行中の人も自分を壊さないでほしいです。どんな人も他者に壊される理由はないのですから


あの頃はつらかった〜

みなさんは小学校1年生の記憶がありますか?私はまーったくありません笑

でも小学校2年生の記憶がある頃からいじめを受けてきました。菌扱いは当たり前、靴も上履きも隠され買い換えました。泣きながら上履きで帰ったのを覚えています。

いじめられた記憶はあれど具体的なことはよく覚えていません。小学生の時のことですからね〜

そして中学生。地獄でした。他の地区はわかりませんが私の通っていた中学校は学年300人ほどいて、非常に荒れていました。

小学校でいじめられていた私は安心できる友達もおらず、ずっと1人でした。美術部に所属していた、いじめられっ子グループの子と話すようになり、やっと友達ができました。

不思議と塾では学校の人たちに素の自分で接することができました。

じゃあこの人たちと一緒にいればいいんじゃないか?

甘かったです。学校で話しかけるとあからさまに話を切り上げようとしていました。そのことで信用しなくなる、ということはありませんでした。おそらく、私と話しているのを見られるといじめられる、とかそこまでいかなくとも立場が悪くなるのでしょう。私もそれを分かっていたので大人しく1人生活に戻りました。

1年生はとりあえず耐え切りました。2年生の体育祭後くらいでしょうか。市の施設で不登校の子たちが通えるところがあったので中学校に行くのをやめて、そちらの施設に通うことにしました。

母に言われてテストだけは受けに行っていたんですが、そうして良かったと心から思います!

ママ、ありがとう!!!

その施設では最初は打ち解けることはなく、ずっと先生と話していました。高校に行くために勉強もしなければなかったので。それに、人間不信のピークだったこともありできるだけ人前に出ないようにしていました。きほん9時から昼ころまで勉強し、帰るの繰り返しでした。

それだけでも話す、という行為が重要なようで自分でも笑うようになったな〜と思えるようになりました

そして3年生、高校には行かなきゃと思い、そのためだけにまた学校に行き始めました。施設に通うようになり、顔つきが変わったので今度はうまくいくかな〜も思ってわくわくしていました。

結果はご想像の通り。やはりダメでした。いじめっ子に霧吹きを顔に吹きかけられたことを今でも鮮明に覚えています。また、ゴースト、という影のあだ名をつけられるようになりました。そしてそのあだ名が広まっていたのです。さらに夜道を学校の人に追いかけられることもありました。あまりに辛かったので先生にも2度手紙を書きましたが、効果はゼロ。

ちょうどそのころにサポート校の存在を知りました。定義は忘れましたが、不登校の子たちが通える、偏差値のない学校です(アバウトすぎ)当時の私からすれば天国でした

そこは入試も簡単なので中学校に通ってまで勉強をする必要がなく、また施設に通い始めました。今度は人と接するために

通っていた塾もやめ、メアドを変え学校の人たちとの関係を完全に絶ちました。


施設の子たちと話すのは怖かったです。でもみんないい子で、一緒にご飯を食べ、人生ゲームやドッヂボールをできるほどになりました。

その施設の卒業式で悔し涙を流しました。綺麗なものではないですね。

教育委員会の偉い人が来たのです。その人の話を聞く場面があったのですが、学校に通わないことがまるで失敗であるかのようにずっと話していたのです。今思い出しても本当に悔しいです。そのころは学校に通わないという選択をした、ということに自信を持てなかったのです。

中学校の卒業式にも隣の卓球室で参加しました。よく覚えてないですが…

中学校のことで1番記憶に残っていることは卒業式前に校長に10枚に渡る手紙を出したことです。

これは本当にやってよかったと思っています。高校の友達には、私が言いたかったこと全部言ってくれた、と言われました。彼女も不登校経験者です。


高校へ進学、尊敬する人との出会い

長いですね

高校は高校で波乱万丈…

人間不信が完全に治ってはいなかったので、人に名前を覚えてもらえるだけで他の人と同じ扱いをしてもらえるだけで嬉しかったです。

自分でも異常だなと思ったのは肩がぶつかって嬉しかったことです。中学校で肩がぶつかることは殆ど無かったです。菌扱いをされていたので周りに常に空間がありました。だから本当に嬉しかったんです!!

いろいろな人がいました。いじめられそうもないくらいかわいい子、ヤンキー?と思える子、いじめっ子なの?というような子…でも言葉の端々に教育への批判があり、みんな辛かったんだな〜と思いました。

他の人の推薦が必要だったので中学校では委員会に入れませんでした。学校にも半分くらいしか行きませんでした。

私は中学校でできなかったことを高校では絶対にやろう!と思いました。

それが皆勤と積極的に行事に参加することでした。これを入学式で自分に誓い、今ここで初めてこのことを外に発信しています。

その甲斐あって3年皆勤を達成し、学業優秀賞を納め、卒業式では2回名前を呼ばれました。1番欲しかった賞は取れなかったけど十分です!

おっと、尊敬する友達の話を忘れてた…

Yは2年の時に編入してきた子でミッ○ーみたいな顔の子でした。いつもにこにこしていて、みんなに信頼されていて一緒にいて安心しました。その子はどんなことがあっても怒らず、でもいうときには言う子でした。でも言葉に気を配っていたので人を傷つけることはありませんでした。

当時の私はサバサバしてるね!と言われることに浮かれていて、人を傷つけても気づかない馬鹿なやつでした。

でもその愚かさに気づき、その友達のようになりたいと新しく目標を見つけました。

大学へ

受験で失敗をし、ギリギリFランに入らないくらいの大学に進学しました

学歴コンプはあります。でもいろいろな人と興味のあることを学ぶことができ、幸せです!

ある授業で誰かにインタビューをして記事にしなければならなかったのですが、迷わずYを選びました。承諾を得るべく、ラインを送るとすぐにOKが出ました!記事を書くのが本当に楽しかったです。ますます尊敬しました。

心ないこと言う人もいますが…

あるアプリで不登校になっても大丈夫かと悩んでいる人がいたので、潰れそうになるまで学校に行かなくても大丈夫、学校でできないこともある、というような返事をしました。すると回答者の1人からそれは独りよがりだ、自分の過去を正当化したいだけだ、という言葉をもらいました。

かつて通っていた施設の卒業式のようには悔しさは感じませんでした。私は私の過去に誇りを持っているからです。それは誰にも侵害されませんし、軽視もされません。その過去が私を作っているのです。

その回答者さんも引きこもりの経験があり、学校に行かなかったことを後悔しているそうです。

私は自分の過去に基づいて回答しましたが、その人も同じだったのです。学校に行くことも不登校になることも間違いではなく、その後どうするか、どう捉えるかが大切なのだと気づかされました。




私は昔、ブスブス言われ自分の顔に自信が持てなくなり今でもそうです。

f:id:dust274:20151125163413j:image

信用に値しない人の言葉でもいつまでものこっています。でもその過去があるからこそきれいになりたいと思っています。誰よりも。

そんな私は自分磨きを趣味に持っています。男の子と付き合うためではありません。自分をより高めるためです。

いつまでも過去に縛られてると思われても仕方ないですが、使えるものは使っちゃえ〜思考です!


これはあくまで私の過去であり選択であり幸せです。こうすればいいとか、学校に行くなということではありませんが、爪の先程でも参考になればと思います。