充実した人生だった。

sister's diary~双極性障害&社会不安障害~

ストレスケア病棟のおはなし

閉鎖病棟から脱出

 1か月半で閉鎖から出ることができました。早い方だと思います。私のことをかわいがってくれた人の中には、7年いるという人もいたので...

 

 4人部屋でしたので、自分のスペースを作ることができずそれがストレスでした。ストレスケア病棟は個室なので天国なんだろうなあと舞い上がっていました。

 

念願のストレスケア病棟

 見学を経て移動することができました。鍵のやり取りなど少々めんどくさいことはありましたが、何とか移動できました。家族も喜んでくれて、やっと落ち着ける場所ができたと安心しました。今まで1人部屋だった時期がなかったので、新鮮な気持ちもありました。

 

 部屋はオートロックでほかの部屋より、広めの部屋が当たりました。ベッドの近くには窓もあって理想の部屋という感じ。

 

 閉鎖では本当にいろいろな人がいて落ち着かなかったんですが、こちらでは社会から隔離されたい、ゆっくりしたいという人がほとんどだったのでゆっくりできました。

 閉鎖からほとんど同時期に移ってきた人がいたことも安心材料でした。携帯が自由に使えるようになり、院内であれば好きなときに好きな場所へ行くことができました。院外は申請が必要で帰ってきたときは荷物チェックがありました。でも、閉鎖の時のように監視という感じはなくあくまでも事務的なものでした。

 

 ...とまあ、最初はウキウキしていました。監視の目がないことで熟睡もできていたので。

 

さみしくなっちゃった

f:id:dust274:20170712181913j:plain

 そうです。今までは人に囲まれていたので気づかなかったのですが、人がいない状態って本当にさみしいのです。私は一人が好きな人間だと思ってきたのですが、寂しがり屋だったみたいです。かといって友達を作りたいとも思っていませんでした。閉鎖から移ってきた方がポケゴーにはまっていたのでたまーに私もやって暇をつぶしていました。すぐに飽きちゃいましたが(笑)ただ、初期のポケモンたちに会えたのはうれしかったですね。

 

 そのころはTOEICを受ける予定があったのでその勉強をしていました。閉鎖にいたころは、ストレスケア病棟に移れば時間もできてもっと勉強できると思っていました。ですが、時間ができると案外できなくなるみたいですね。私がそうでした。でも、勉強は続けなければよくないと思い、外で勉強するようにして工夫はしていました。

 

 それでも、静かな部屋はつまらなくて部屋の中をぐるぐる歩き回ってましたね(笑)

 

 ある時、妹にその話をしたら音楽を流してみることを提案されました。確かに流してないなあと思い、ウォークマンを買い流すようにしました。さみしさを少し紛らわすことができました。

 また、その時期に私の誕生日があったのでプレゼントに塗り絵と絵本を買ってもらいました。今思えば芸術にひどく影響されていた時期だったのかもしれません。絵本は一目ぼれした本でしたし、「君の名は。」という絵が本当にきれいな映画にもドはまりしていました。退院後も観に行ったので計12回ほどは観に行きました。

 

f:id:dust274:20170712181741j:plain  

f:id:dust274:20170712181738j:plain

 

 

 妹は当時週2回ほど会いに来てくれました。遠いのにもかかわらず。その恩はこれから返していくつもりです。

 

毎晩の朗読会

 妹に最も感謝しているのが、毎晩本を1章ずつ朗読してくれたことです。私の知らない本でしたが、ゆったりとした声で呼んでくれたのは確実に癒しでした。たまに考えさせられる内容の時は眠れなかったりもしましたが、今でも感謝の念は残っています。

 

最後に

 前回に引き続き、思い出しながら書いたのでグダグダな点はあるかと思いますが少しずつ直していこうと思います。ありがとうございました。

 またよろしくお願いいたします。